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MAICOのプロフィール

約 7 分
MAICOのプロフィール

初めまして。こんにちは。
MAICO(マイコ)です
わたしのプロフィールをご紹介させていただきたいと思います。

 

幼少期から中学時代:人との付き合い方がわからず寂しい思いを味わう

神奈川県出身。ごくごく平凡な家庭の次女として誕生。
小さいころから両親に怒られた記憶がなく、その代わり歳の離れた姉にかなり怒られていました。
殴られたり、髪の毛引っ張られたりとかなり暴力的で、当時のわたしは幼かったので反撃なんてもちろんできっこなく、父親に告げ口したりしていました(笑)

歳が離れていたせいか、親が私に甘かったのが気に入らなかったのかもしれませんね。
また両親の金銭に関する口喧嘩が多く、聞きたくないことを聞かざるを得ないことがあり、幼いながらにお金って大事なんだな。ということを実感した時期でした。

中学校に進学。正直中学時代はあまり楽しかった記憶がありません。
なぜなら、友人の輪に入れない時期があったからです。もともと臆病で人見知りな性格のわたしは、周りの友人が部活動に入部する中、運動部についていける自信がなかったので、帰宅部を選択してしまいました。周りの友人は部活動。わたしは一人家へ帰宅。運動部は同じ部活の子と仲良くなる傾向があったため、もちろん話題にも入れず、自然と一人でいる時間が長くなりました。
特にいじめられていたという訳ではないですが、ちょっと疎外感。寂しさを感じる中学時代でした。

高校~大学時代:払拭すべく楽しい学生時代を過ごす

市内の学校へは進学せず、中学から一緒の子がいないような高校へ進学しました。
なぜなら前のわたしを知っている人はいない場所で新たに友人を作りたいという思いからでした。結論から言うと、今でも交友関係のある友人たちができました。みんな大切な友人です。

高校時代は中学時代での青春を取り戻すべく、部活動にアルバイトも始め、学校行事も積極的に参加し、それなりに楽しみました。部活動にアルバイト、学校行事と遊びに夢中になっていたため、勉強は疎かになり期末テストでは一度だけ学年最低点を取った科目があります。さすがにヤバいと思い、2年生の後半から真面目に勉強も頑張りました。

3年生から予備校へも通い始め、第一志望の大学へ入学したく勉強に励んだ1年でした。ですが、見事に第一志望の大学に落ち、、(笑)滑り止めで受かった大学へ。
就職率がいいのと学校のカリキュラムが実践的なものが多いということで、安易に選んだ滑り止めの大学でした。ここへ行くと全く思っていなかったので、かなり落胆した覚えがあります。両親にも受験のときは迷惑かけました(笑)金銭面とか。。

とにかくイケてる大学生活を送りたくてインカレサークルに入会したり、毎週末渋谷や六本木のクラブに遊びに行ったり、地元のキャバクラでアルバイトしたりと、まあ派手に遊んでいましたね(笑)
寝ないで学校に行くなんてしょっちゅうで、よく単位落とさず卒業できたなと今でも思います。

キャバクラのアルバイトで稼いだお金で渋谷の109へ繰り出し洋服を買う&友人と海外旅行へ行く。の繰り返し。まあアルバイト代なんて貯まりませんでした。

大学時代の交友関係はというと、唯一の友人が1人。あとはほんと上辺っていう感じでした。
派手に遊ぶような子が周りにいなかったので今思うとその友人と2人でちょっと浮いていたかもしれないですね。
当時の自分では気づいていなかったようですが、人間関係は必要以上な人とは付き合わないというスタンスだったようです。

タイムスケジュールはしっかりしていたのか、大学は単位も落とさず無事卒業。
大学時代から服が好きだったので、洋服が作りたい!そんな仕事がしてみたい!と思い、大手アパレルメーカーに就職しました。

社会人:現実そんなに甘くない

就職したアパレルメーカーは全国に店舗を構え、企画~製造~販売まで一貫して自社で行っているという大手メーカーでした。もちろん最初は現場から。販売員からのスタートでした。

わたしの理想の働き方は都内の大型店舗でバリバリ服を売る販売員をイメージしていました。それにも関わらず、配属先は郊外の店舗。まずそこで夢を打ち砕かれました。そんなこと言ってもまだ入社したての社会人1年目。なんとかして同期の中でも注目を浴びたい!!というやる気に満ち溢れていました。

12ヶ月連続で個人売上を達成しましたが、注目されるのは大型店舗に配属された同期。売上の金額が敵いません。どんなに頑張ってもこの会社では認められないんだと感じ、とても落胆しました。当時のお給料は手取りで17万円程度。頑張っても頑張らなくてもお給料は変わらないし、なんとなく働いてればお給料がもらえるんだという思考に次第に変わっていきました。

もともとファッションが好きだったので入ったお給料は全てお洋服に。一人暮らしも始めることもできず、このまま20代後半になるのは心配だなと思う反面、今が楽しければいいのかな?と思う浅い考えの自分もいました。何も考えず、今が楽しければそれでいい!という考えになっていました。

ですが社会人生活が3年経過する前にふと我に帰り、人としては嫌いではないけど、上司のような人生は送りたくない、尊敬できる人がいない。またもともと自分で仕事がしたいという思いがあったのと、もっと頑張りが認められる仕事がしたいということで、転職を決意しました。

 

25歳~29歳:会社立ち上げに関わる経験をする

そのような私の声を聞きつけ、知人からのご縁で創業者とのご縁をいただき、人材会社の立ち上げに関わらせてもらいました。
創業者の近くで経営の勉強できること、頑張りが認められる結果重視の働き方ができることが、わたしにとってはチャンスとチャレンジで、とにかくがむしゃらに仕事をしました。
もちろん不安もありましたが、当時のわたしはパワーに満ち溢れていたのか楽しみ、ワクワクといった気持ちの方がまさっていました。

仕事に明け暮れる毎日。睡眠時間も削りプライベートの時間もほぼ0でした。
いつしか求職者のために仕事をするのではなく、自分の売上や創業者に認められたいという思いに目的がズレていき、なぜ働いているのかわからなくなり、また毎日のアポイントや交際費などの経費がかさんでいき、売上のノルマも達成できなくなり、達成できないことで、お給料も止められるという経験もしました。

急にお給料が止めらるという事態と今まで同様の生活を送る癖がついてしまっていたのか、支出が抑えられなかったため、当時はカードの限度額もギリギリになり、首が回らなくなってしまいました。
生活を立て直さないといけなかったのとそもそもなぜ働いているのかという目的も失い、将来どうしたらいいか迷走してしまい会社辞めることを決意。

その当時のわたしの顔が死んでいたのか、知人から「自分の人生生きなよ」と言われ、なぜか肩の荷が落ち、新たな自分で歩んでいきたいという気持ちが再び蘇ってきました。

現在:独立を決意。同じように悩んでいる人のお手伝いがしたい

そもそも転職をした動機は「自分で仕事がしたい」「自分にしかできない仕事を求めている人のためにしたい」という気持ちが強かったのを再認識し、一念発起してスキルの勉強に励みました。

その結果、業務委託で上場企業の仕事を直接契約で獲得することができ、フリーランスとして活動できるようになりました。
前職では毎日仕事と売上に追われ、時間とお金もないというような状況でしたが、仕事に対しての誠実さとそれに伴うスキルがあれば、フリーランスとしての仕事ができるんだということがわかり、それを証明することができました。
自分の力で仕事を獲得できたことはわたしにとって大きな一歩でした。

ですが、もちろんそれは一人で手にしたものではありません。
今まで人に弱いところを見せるのはカッコ悪いことだと思い、できるように見せて強がっていましたが、どうしようもなくなり、一度弱音を吐いてみると、周りに助けてくれる人がたくさんいました。
今のわたしがあるのは周りの人が手を差し伸べてくれたおかげです。本当にありがたく感謝しています。

知人に「自分の将来よく考えて、自分の人生生きなよ」といってくれたことで目を覚ますことができました。今はわたしの好きな言葉が「自分の人生を生きる」です。

 

現在は、以前の私と同じような境遇の方、販売職の方のためのライフチェンジコンサルタントをしています。

〜新しい働き方とお金に困らない令和時代の生き方支援〜ということを念頭に置き、
20代の働き方に悩む女性に、将来自由に生きれて、お金に困らない堅実な働き方と資産形成の支援を行っています。

目の前のことに向き合わなければ、何も知らないで過ごせてしまう20代をしっかり向き合って、乗り越えていこうとする方のお手伝いやご相談に乗れたらと思っています!

長くなりましたが、コツコツとブログを更新していきますので、読んでいただけたら嬉しいです(^ ^)
よろしくお願いいたします。

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